大國魂神社【桜】

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武蔵國に國府が置かれると、宮乃咩神社の境内に大國魂神社も総社として創建された。

太陽神信仰からして大國魂神社も本来は南向きにすべきだが、宮乃咩神社があったため、構造上やむを得ず北向きとなったのであろう。

やがて全国の太陽神を天照大神に統一する流れと共に、日巫女は秘され、脇役であった大國魂神社が主役となる。

時の流れとともに日巫女は忘れ去られていったが、大國魂神社の一ノ宮は小野神社のままであり、かつ、千木・鰹木を始め、日巫女の痕跡が数多く残っている。

現在、宮乃咩神社は西向きであるが、仮に風土記や旧事紀が正しければ、かつての故郷伊勢を見守っているのかも知れない。

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大國魂神社【宮乃咩神社】

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伊勢國風土記によると、伊勢の日子と伊勢の日巫女は東の海に流され、先代旧事本紀によると彼らが武蔵國造家の始祖になった記されている。

皇族の聖地伊勢は最初から皇族のものではなく、皇族が伊勢の支配者から奪った土地なのだ。

伊勢の日子・日巫女は猿田彦と天鈿女命を連想させるが、これだけで断定することは出来ない。だが大國魂神社の境内には、武蔵國の日巫女と思われる神が祭られてる。

創建1900年、都内で最古の神社とは大國魂神社のことではなく、写真の宮乃咩神社なのだ。

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大國魂神社【ご神木】

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神道では古来より優しい和魂と、祟りを及ぼす荒魂があると言われている。

大和朝廷が成立する前、全國には複数の太陽に遣える日巫女がいて、大和朝廷が各地を制圧するたびに敗北した日巫女たちは秘されていった。

日巫女の神名、天照大神は宇佐の日巫女であり、皇族の始祖でもあるが、同時に故郷を奪われ、天皇に祟りをなす日巫女たちの荒魂でもあるのだ。

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大國魂神社【本殿】

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神社には主祭神の男女を表わす千木・鰹木というものがある。

千木とは、屋根の端にあるバッテンのようなもので、その先端が垂直だと男神、水平は女神を示している。

鰹木とは、屋根の上に乗っている丸太のようなもので、その本数が奇数だと男神、偶数は女神を示している。

大國魂神社は公式上、大國主命を祭っているので男神を示す垂直・奇数でなければならない。だが、大國魂神社は女神を示す水平・偶数だ。

出雲の大國主命を祭らず、出雲の始神をひっそりと境外に祭り、街道をぶち抜き、社殿を北向きにする女神とは誰なのか?

明日より核心に入る。

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大國魂神社【拝殿】

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当社は北向きの神社であり、境内・参道も北に延びている。そして、その境内・参道を東西に走る旧甲州街道がぶち抜いている。

街道が境内・参道を交差するなど異常だ。はっきり言ってありえない。通常は『街道』が境内を迂回する。まして相手は武蔵國総社だ。

ここで考えられることは、街道が境内・参道をぶち抜いたのではなく、大國魂神社を北向きにする為だけに街道をぶち抜いたと考えたほうが良い。

つまり大國魂神社では街道をぶち抜きくまでの神、しかも大和朝廷が保護せざるを得ない、天照大神に反逆する神を祭っていたと考えられる。

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大國魂神社【随神門】

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当社には坪ノ宮という境外社が在り、武蔵國造の始祖を祭っている。

坪ノ宮の神をさかのぼると出雲國の始神につながる。天照大神とスサノヲが誓約をしたとき、天照大神の勾玉から誕生した天穂日命だ。

大國魂神社では出雲の大國主命を主祭神として祭っているので、出雲の始祖も当然のことながら境内に祭るべきだ。出雲大社でも境内に祭っている。

だが大國魂神社ではあえて隠すように『境外』に祭っている。一体何故なのか!

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大國魂神社【鳥居】

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小野神社より北西に4キロ行くと、大國主命を祭る大國魂神社がある。武蔵國総社であり、鎮座1900年の歴史を誇る都内で最古の神社だ。

当社は太陽(天照大神)に刃向かう北向きの神社であるにも関わらず、朝廷(太陽:天照大神))から守護され、明治時代には官幣小社にも昇格している。

今週はこの神社の謎を追う。

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