氷川神社【随神門】

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記紀によるスサノヲが複数の人物を融合しているため、文体のスサノヲを研究するよりも、氷川神社そのもの、鎮座地そのものに注目してみる。すると面白い事実が判明した。

実は氷川神社は単一で存在している訳ではなく、氷川神社(大宮)、中山神社(与野)、氷川女体神社(浦和)の3社で構成されており、それぞれが太陽の道の上に正確に鎮座している。

冬至の日(古代の元旦)、初日の出が姿を現す場所に氷川女体神社が正確に鎮座しており、夏至の日には太陽が沈む場所に氷川神社が正確に鎮座している。中山神社は春分・秋分のそれにあたる。

氷川神社の創建が邪馬台國のヒミコよりも500年以上も昔であったことを考えると驚くべき『観測技術』である。さらに氷川神社の鎮座地はこの太陽の道だけにとどまらない。

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氷川神社【随神門】

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スサノヲの正体に迫るため、古事記・日本書紀の記述を見てみよう。

古事記・日本書紀によると、スサノヲは誕生後、亡くなった母を求めて泣き叫び、それが収まったと思えば高天原で悪行三昧。しかし出雲に追放されると、いきなり人格が変わり、紳士的な言動を取り、八岐大蛇を倒し、最終的には建国の王となる。

高天原での行いを悔い改めた、または多重人格などの見解もあるが、実は歴史が古ければ古い神ほど合祀が繰り返される。スサノヲも例外ではなく、幾人もの『実在した人物』が合祀されており、この何重もの複合体こそが我々の知るスサノヲなのだ。

氷川信仰のスサノヲが、記紀のどのスサノヲを示すのかは研究を要するが、さいたま市に氷川神社が鎮座する以上、関東という『広大な平野』と見沼という『湿地』が重要なキーワードとなる。

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氷川神社【参道】

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弥生時代、効率的な稲作を求め、人々は多摩川から大湿地帯、見沼(大宮~浦和)へ移住した。氷川神社の社名であるヒカワとは、現在の荒川のことであり、水田を潤す『肥沃な川→ヒ・カワ』という意味である。

生きるために必要な食料を育む。そういった意味で氷川神社は一ノ宮として相応しい。だが、ここで一つ疑問が出てくる。

それがスサノヲだ。

なぜ出雲から遠く離れた武蔵國でスサノヲが祀られているのか。しかも氷川神社は一ノ宮。事実上、武蔵國における筆頭神社と言ってもよい。

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氷川神社【鳥居】

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氷川神社は埼玉県さいたま市(旧大宮市)に鎮座し、関東を代表する古社の一つである。氷川信仰の総本宮であり、武蔵國一ノ宮、名神大社、旧官幣大社の社格を有する。さらには宮中の四方拝において、筆頭神社として遥拝されるなど格別の待遇を受けている。

今週はこの氷川神社の謎を追う。

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